事業に手を出す③ ~独立起業までの2年間で私がしたこと~

ホワイトホース 事業としてやってみた

定年後の先までずっと、行き当たりばったりで突き進んだ時、老後に恐ろしい現実が待ち構えていることを知ったからと言って、思い立ったが吉日とばかりに、脱サラして独立起業をした訳では、勿論ありません。

実際に脱サラを決意して独立起業するまでも紆余曲折が有り、自分でも驚く順で進んで行き、自分で書いたストーリーの筈で有りながら、その線路の上を進んでいる自分が不思議でならなかったことを覚えています。

何があったのか、また、何をしていたのか、ここでお話をさせていただきます。

~ 独立起業までの2年間で私がしたこと ~

53才の時に脱サラして独立起業をと思い立った私でしたが、その時の思いは、正直に言うと、決意と呼ぶには、ほど遠いものだったと記憶しています。

さすがに50才を優に過ぎて、曲がりなりにも月々のサラリーがあって、パート収入のみの妻と高校生の娘がいて、蓄えも勿論無い中、安定収入を捨てて会社を飛び出し、起業しようなどと思えるほど、私は優秀な人材ではありませんでした。

自分の事はよく分っているつもりでした。

事務経験の長い社会人人生を送ってきましたので、パソコンは当然使えましたし、エクセルを使うのは得意で、当時のデータベースソフトであるアクセスもプログラムを少し組むことが出来て、電話での顧客とのやり取りも苦手では無く、サラリーマンのスキルは一応一通り持っているかな?と言うレベルです。

自分で言うのも何ですが、鼻高々に自慢出来るスキルは、特にありません。

最初は半分本気半分冗談の様な気持ちで、志した、と言うよりも夢を見たと言うのが本当のところでした。
ですので、独立起業をするとしたら、まず何をしたらいいか、と言うところからスタートしました。

木漏れ日の道

 

私は、40歳の時にも一度友人と共に起業し、大変痛い目を見た経験がありました。
その時の大失敗から学んだことの一つに、運勢を無視してはいけないと言うことがありました。

まずはそれを見なければいけないと思い、直ぐさま、その時の自分の運勢を調べました。

当時、私が基本として考えていたのは、「0学」と言う占いです。
細木数子さんの占いも、これを基調としていると思いますので、細木数子さんの占い本を見るのも良いと思います。

基本的に自分の波長を知って、下降気味なのか上昇基調なのかを確認しておくことが大事なので、その他の詳しい内容は余り気にしなくても大丈夫です。

私の場合、今回独立起業を思い立った年は、実に運勢の波長的に底辺の年でした。
得てして、そんなモノだと思います。
前回、40歳の時の独立も、思い立ったのは最低の運勢の年だったのですが、思い立ったが吉日とばかり、エイヤッと会社を飛び出して起業したのでした。

気分が何故か盛り上がってる時は、案外危ないのです。

運勢は12年周期で巡っていますが、その12年間を4で割った、3年間毎に良い時期と悪い時期があります。
(※単純に良い悪いでは無いので、あくまでも分かり易い表現として話しております。植物で言う開花の時とか力を蓄える時期など春夏秋冬的なニュアンスでお考え下さい。)

40歳当時のそれは、上の例えで言う所の、冬真っ盛りでした。

当然、冬の時期に花を咲かそうと頑張っても、蕾みさえも出ずに終ります。
そんな時は、栄養を溜め込むことに終始して、じっと春を待つに限ります。

雪の華

当時の私の仕事 ~普段の仕事も訓練の場~

独立起業をしたら必要なことは、何はなくとも営業です。新規開拓して自分を売り込む術は、絶対条件です。

ところが、当時の私の仕事は、事務職でした。
実のところ私は、社会に出て以来ずっと、殆ど事務職しかしておらず、外回りをする営業職とは無縁でした。
営業職は完全に苦手とする仕事でした。

負けず嫌いなところもありまして、苦手なことは何とか克服したと言う思いもあり、何度かチャレンジはしました。

基本的に人と対面で話をするのを苦手とする人見知りな性格で、知っている人でも30分以上の長い時間一緒にいると時間を持て余してしまい、話題を考えたり、相手の心中を察したりとしながら会話を進めていくのに、疲弊してしまうタイプです。

営業でお客様を訪問するにしても、2軒も回ったらもうすっかり仕事をした気になって、ゆっくり休憩を取りたいと思ってしまう体たらくです。

とても克服するには至りませんでした。

では全くお客様と話をする機会は無かったのかと言うと、そうでもありません。
電話での会話ならば全く問題なく、仮に知らない人でも、受けるのもこちらからかけるのも苦にすること無くやっておりました。(まあ、普通ですね)

対人恐怖症と言う訳ではないと思いますが、対面で人と話すのは苦手だったのです。
(今もですが・・・)

特に、人前で話をするのが嫌いで、緊張で声が震えてしまうようなこともあり、スピーチなど苦手中の苦手なことでした。

そんな人間が独立起業して、上手く行くはずはありません!
誰でも反対しますね。

でも、独立起業を果たさなければならない。

私の中では、その使命は沸々と起こっていましたので、何とかしなければいけないと言う思いは強く、私は自分改革を断行することにしました。

詳細は割愛致しますが、当時の私の仕事は、基本的に事務職でした。でも、外回りの仕事を作って、営業してくることも出来る立場だったので、やろうと思えばいつでも営業チャレンジが出来ました。

折角の機会を上手く活用しない手はありません。
色々と訓練は必要ですし、活用出来ることは何でもするべきです。

独立起業を思い立つと、そうしたモチベーションもグッと上がります。

頂に立つ

人に頼るのも大事 ~出来ないことは教えて貰う~

一人ではどうして良いか分らないのであれば、誰かに学ぶと言うことも必要です。

世の中には社会人を対象にした色々な学びの学校があります。

社会人をしていると、自分に不足しているスキルや、出来る人は当たり前のようにやっているけど、自分には出来ないことを習得したいなど、会得するとステップアップに繋がることを学ばせてくれる教室や学校が多数存在します。

やる気を持った方々は、お金を払ってでもそう言うスクールに、仕事帰りなどに行くのです。モチベーションの無かった私の場合、そう思って探したことなどありませんでしたが、自分のために必要となると、やはり変わるのですね。

たまたま当時、話し方教室を運営してる先生の講演を聞く機会があり、先生が主催するスクールで無料お試し受講があることを知り、興味本位で参加することにしました。

本当に興味本位でした。

ところが、その帰り際でした。

「取り敢えず、今日は申込書だけ書いて帰りましょう。」と言うのです。そして「後のことはゆっくり考えて、どうしても参加出来ないならキャンセルすれば良いです。」と。

じっくり考えてから申込書を書くのは、ちょっと二の足を踏むと言うか、決断が必要で、参加率が落ちるのでしょう。

「いつでもキャンセル出来るから、まずは書いておきましょう。億劫になって参加を躊躇って、折角のチャンスをモノに出来ないと、後悔することになります。」

そうした巧みな話術で、心はすっかり参加する方向に導かれました。
予算はありませんでしたが、支払方法の相談にも乗ってくれて、お金の捻出方法は、年二回の賞与(小与?)の中から何とかすることで、参加することに決めました。

けれども、この決断が、実は後々、大きな見返りをもたらしてくれるのです。

あの時、お金を出すのを渋って、参加することを断っていたら、
先生の巧みな話術で参加に誘導されていなかったら、今の私はありませんでした。

本当に人生とは分らないものです。下地を作っている時は、その力になるように運勢が働くのです。

何が大きかったかというと、本当のところは、スキルを身につけたことではありません。
むしろ、半年程度のスクールでは、スキルの「ス」の字すら覚えたとは言えないかも知れません。

デイジーハート

では何が大きかったかというと、そこで知り合った仲間達です。

20万円という大金を払い、そんなスクールに来ると言うことは、皆自分のスキルが足りないと思い、お金を払ってでもそれを習得したいという意識の高い人達の集まりなのです。

つまり、そう言う意識レベルの高い人達と出会えたと言うことが、何よりも大きな収穫だったのです。

そう言う人達と出会いたいと思っても、仲良くなるまでのレベルにはそうそう到達出来ません。
ですが、同じスクールに通う仲間だから、横のつながりも強く出来て、仕事の面でも大きく繋がることが出来たのです。

くだらないと思うかも知れませんが、お金では買えないものです。

独立起業をした時に、それは尚更、痛感することだと思います。

独立起業に向けて、お金は貯めなければいけません。
それも必須なことなのですが、自己投資、これも大変重要です。特に金額の高いスクールには、意識の高い人が集まるので、そこは重きを置くべきだと思います。

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